episode 6 死に至る病
1994年のある日取引先のA氏がふらりと事務所にやって来た。
常日頃彼は午前中から午後にかけてユーザーを訪問し新しい引き合いやらオーダーの調整やらをやった後にうちの事務所にやって来て打ち合わせを行うことが多かった。毎日来るわけではないが週に2−3回はやって来る。繋がらない電話に頼らず自分の足で稼いでいるわけだ。
その日彼は英字新聞を持っていてある記事を私に見せながら言った
感染症のスーパーマケットみたいなインドだからまたなんか流行ってるんだろうな、流行ってる地域もスーラットでボンベイから距離あるしと軽い気持ちで聞き流していたが彼が帰ったあとにそのPlagueというのが何なのか辞書で調べてみた。
そして数日後・・・・
在ボンベイ日本国総領事館から在留邦人に全員集合がかかった。
なんなのかと思ったらペストが流行しているので注意事項など周知徹底するためだと言う。マジか。参加した。
ゆったりとビジネスクラスでやって来た医務官様によると
- 今回流行しているのは腺ペストで、潜伏期間は数日から1週間くらい。
- 潜伏期間中の主な症状は風邪と酷似。
- 潜伏期間に適切な抗生物質投与を行えば大丈夫、心配ない
- 発症するとほぼ確実に死に至る
実はちょうどその頃数日前から風邪のような症状が続いていてインドの風邪はひつこいなと思っていたところでかなりビビった。 発症したらほぼ死ぬとか言われるとさすがにビビる。駐在仲間のT社Mさんも「発症したら絶対死ぬって怖いよね」とか言ってるし。実は風邪っぽいなんて冗談でも言える雰囲気じゃなかった。
家に戻ってから寝室のダブルベッドで大の字になりながら天井でクルクル回っているシーリングファンをぼんやり見つめながら俺ってここで死んじゃうのかな・・・などと考えていたら涙が頬を濡らした・・・。
一人は気楽だがこういうときにかなり気弱になる。生まれて初めて死について真剣に考えた。マジで。
それから日を追うごとにペスト流行の記事が新聞紙面を賑わせ始める。TVニュースも感染者発生のニュースでもちきりだった。ボンベイでも感染例が確認されたと報じられるまで長い時間は掛からなかった。
日系企業にはペストに効力があると言われる抗生物質を日本から取り寄せ始めた。
S銀行駐在のI先輩の御厚意で緊急用にと1箱分けて頂いた。軽い風邪のような症状は続いていた。
不安な日々を過ごす中、本社から一旦帰国するように連絡があった。
成田到着時はすぐに空港の医務室に行って相談するようにとの指示だった。他人事だな。
帰国当日、成田到着後空港医務室に向かった。医務官にどうしましたか?と聞かれたのでペストが流行しているボンベイから帰って来たんですが感染の可能性があったらなんなので会社からこちらを訪ねて血液検査受けろと言われた云々とか言ってたら”ペストに罹ってる人はそんな風に重い荷物を元気に運んで来られないですよ。会社の人には絶対に大丈夫だと言われたと伝えてください”と名刺を頂いた。名刺が免罪符に見えた。
帰国中に会社からペストのワクチン接種をしておけと言われ病院に連絡。病院では対応してない、保健所に連絡しろと言う。保健所に連絡。検疫に連絡しろと言う。最終的に品川の検疫に連絡したらペストワクチンはすぐには用意できない。冷凍保存してあるものを培養する必要があるので時間が掛かるがそれでも良いか?とのこと。仕方ないのでそれでお願いした。1週間だか10日間だか待ったかな。品川まで行って出来たてホヤホヤのワクチンを接種した。その夜39度の熱が出た。しんどかった・・・・。ペストワクチン接種歴のある日本人ってそう多くないと思います。品川検疫の担当の方もペストのワクチン接種なんて聞いたことが無いと仰っていた。
1994年、スーラットでペストが流行する前にちょっと大きな地震があった。その地震でかなりの数の家が倒壊し折からの暑さと復旧の遅れによりネズミが大量発生したそうだ。ネズミが媒介した結果ペストの流行に繋がったらしい。ボンベイでも感染が確認されているが正確な数はわからん。このときの経験が昨今のCOVID-19対策にも活かされてるらしい。
インドでペスト、香港でSARS、そして今はCOVID-19。
常に病魔と闘う紅顔の美少年であった。