震撼の上海

2008年6月某日、香港から上海に出張する機会があった。

ちょうど日本から出張で来られているN先輩、上海支社のK先輩、M後輩と夕食を一緒することにした。
N先輩は私の後任としてボンベイに駐在された方で私が香港に転勤になってから暫くお会い出来ずにいたので良いチャンスだと思いお誘いしたのだ。久しぶりの再会を結構楽しみだった。

当日香港からのフライトが遅れてしまい虹橋空港に着いたときには既に19時をまわっていた。香港を出発する時点で遅れることは予め分かっていたのでK先輩に先に始めておいてもらうようお願いしておいた。

約束の時間から1時間ほど遅れて虹橋新区のゆずという日本料理屋に到着した私は少し違和感を感じた。

全くの下戸であるN先輩の前に酎ハイの大ジョッキがあったのだ。それも殆ど飲み干されていた。ほんこの前までは小さなコップ一杯のビールさえ飲み干せない御方で、仕事終わりに「飲みに行くか」と言えばコーヒーショップが定番の方だったのにだ。

下戸だったNさんがジョッキで酎ハイなんて珍しいですね〜

まぁな、最近は少しくらいは飲めるようになったよ

そういうN先輩はどことなく疲れた様子だった。聞けばこの半年ほど日本と中国を行ったり来たりの連続で結構多忙にされているとのこと。翌日も朝5時起きで青島に日帰り予定だと。

1時間ほど経った頃であろうかN先輩が明日朝早いから悪いけど先に帰るよと退席された。また近いうちにゆっくり会いましょうと約束して別れを告げた。

先輩が先に帰られた後も3人の宴席は続き30分ほど経った頃にビールを飲みすぎたかトイレに行きたくなり店の外にあるトイレに向かった。

トイレに着いてみると30分ほど前に帰ったはずのN先輩がトイレの個室にドアを開けたまま座り込んでいた。

大丈夫ですか?飲みすぎて気分悪くなっちゃいました?

なんかしんどいねん

元々お酒飲めないのに調子のって 大ジョッキ3杯も飲むからですよぉ。w

このときはまだお酒飲みすぎてしんどいのかなと半分冗談のような対応をしていたがそのうちN先輩の顔色がどんどん青ざめていくのがわかった。

む、む、胸が痛い・・・息でけへん・・・・

ここでようやく先輩がただ酔っているのではないのだと察した私は急いで店に戻りK先輩とMに助けを求めた。

駆けつけたK先輩はその様子をみるやすぐさまヤバいと察したのかMに救急車を手配するよう命じた。Mは店の中国人に頼んで救急車を手配しようとしたものの1時間半かかると言う。そんなに待てるはずがない。今すぐ移動しないと!

タクシーで華東医院へ担ぎ込もうということになり私とMはタクシー確保に走った。最初の1台はすぐに見つかった。助手席にMが座り、後部座席にK先輩とN先輩。そして私はほどなく捕まえた別のタクシーに一人で乘った。

華東病院までそれほどの距離はない。10分も経たず延安路にそびえる巨大な病院のビルが見えて来た。

途中私が乗ったタクシーが先輩たちを乗せたタクシーを追い抜いた。追い抜きざま車窓越しに見えたN先輩の顔は苦痛に歪んでいた。そして今にも崩れ落ちそうなN先輩の体を傍らのK先輩が必死に支えていた。

私の乗ったタクシーが先に病院玄関に到着。N先輩の乗ったタクシーも続いた。私は後ろのタクシーの分もこれで頼むと運ちゃんに200元を渡した。タクシーを降りてまず車椅子を持って来ようと病院のガラスドアを開けかけたたときK先輩の大声が私を呼び止めた。振り返った私の眼にN先輩の身体を必死になってタクシーから降ろそうとするK先輩の姿が飛び込んで来た。N先輩の顔面は蒼白としており手も足も微動だにしていなかった。動かない人間ほど重いものはない。

急いで二人に駆け寄りながらMにお前は病院のスタッフを連れて来てくれと大声で叫んだ。

その時尋常ではない様子を察したのかガラスドアの内側から二人の看護士が走り寄った。彼女たちはN先輩の様子を見るや踵を返し一台のストレッチャーを携えて戻って来た。説明しようとする我々に耳を貸すことなくぐったりとしたN先輩をストレッチャーに横たえ病院内に駆け込んだ。我々も後を追った。

N先輩を載せたストレッチャーは処置室に滑り込み、我々は外の廊下で待つように指示された。やがて聴診器を首にかけた白衣の女医がやって来た。

廊下から処置室の様子を覗くと女医がN先輩の旨に聴診器をあてたり看護士に指示を出したり忙しそうに動き始めた。やがて女医は先輩の身体に跨り心臓マッサージを始めた。

この時凍るような感覚が私の背筋を走ったのを今でも鮮明に記憶している。

女医は額に汗しながら、一時たりとも休むことなくN先輩の左胸に両の手をあてがい戻って来い!戻って来い!とマッサージを続けた。我々はただその姿を呆然と見つめるしかなかった。誰も一言も発しなかった。

やがて小一時間ほど時間が経過しころ女医が悲しい表情で動きを止めベッドから静かに降りた。
そして我々に手招きをして部屋に入るようにうながした。

そしてこう告げた

到这里的时候他的心已经停止了跳动。我们竭尽全力去救他,但做不到。 很遗憾。
现在晚上10点23分他死亡了。

中国語が一番上手なMはその場に泣き崩れ、大体分かるK先輩は天を仰ぎ、半分くらいは分かる私は呆然と立ち尽くした。女医は一礼すると処置室から出ていった。残された我々は変わり果てたN先輩の亡骸を前に言葉が見つからないまま時間が過ぎていった。

親族以外の人の死に直面したのは後にも先にもこのときだけだ。若いMは人の死に直に向き合うこと自体が初めてだったようだ。彼は本当に泣き崩れていた。K先輩は相変わらず天を仰いだままだ。

ふとN先輩の亡骸に眼をやると処置の際にベルトが緩められたからかズボンがかなり下がり、シャツも乱れたままだった。普段からお洒落に気を使っていたN先輩、こんな姿を人には見せたくはないだろうと急いで整えた。その間涙が止まらなかった。そのときN先輩の胸のあたりが一瞬動いたように見えた。まだ生きてる!と叫び看護士に伝えたが看護士は身体に送り込んでいた酸素が身体から抜けるときに動くことがあるんですよと静かに説明してくれた。諦めきれなかった。声をあげて泣いた。

ほどなくして別の看護士がやって来て我々とN先輩の関係、今後の手続き等について質問したり説明したりし始めた。中国語が得意なMにその場を任せK先輩と私は一旦病院の外に出た。意識がどこか別の場所に行ってしまっているのが感じられた。信じられないことが起きている、N先輩が亡くなってしまった。頭では分かっているが気持ちがついて来ない。気を落ち着かせるためにタバコに火をつけたがすぐにもみ消した。

やがてMがやって来て病院の支払のことやら御遺体の安置のことやら説明があったと言う。また、警察の聞き取りもあるとのことだった。色々あり過ぎて頭の整理が追いつかない。日本にも連絡をしないといけない。K先輩が震える手に携帯電話を握り電話を掛けようとするがどの部署の誰に掛ければ良いのか決めかねている様子だった。ちょうど前の週に中華圏担当役員が出張で来た際にもらった名刺が名刺入れにあるのを思い出しK先輩に渡した。K先輩がその役員に第一報を入れた。そして我々の長い一日が始まった。御遺族にも連絡しないといけないが生憎御自宅の電話番号はそこにいる3人には分からない。本社に任せるしかない。

この話はまだまだ続くので今回はここで切り上げます。

つづく・・・

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